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食べ物エッセイ7

糸崎公朗

無文芸

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藤沢の自宅近所の、行きつけのパン屋さんに「たくあんサラダパン」という見慣れないパンが置いてあった。
 私はこのお店でよくカレーパンを買うのだが、カレーパンはおかずパンの定番で、私はコンビニを始めいろんなカレーパンを食べ比べてみたのだが、この店のカレーパンはちょっとスパイスが効き気味で、辛くて美味しいのである。またツナポテトパンも、ありきたりな具材ながら、独特にねっとりと濃厚な味わいで、並の店よりも明らかにワンランク上に思える。と言っても特に高級なパン屋さんと言うわけではなく、あくまでリーズナブルでありながら、この味というのが嬉しいのだ。
 その藤沢のパン屋さんの店頭に、これまで見たことがない「たくあんサラダパン」なるものが置いてあったのである。「新商品なんですか?」とパン屋のお兄さんにきくと「そうなんですよ。」と答えてくれたのだが、さっそく買ってみた。
 パンの形態としては、ラグビーボール型のコッペパンに切れ目が入り、間に黄色いたくあんの刻んだのがどっさり挟まっている。
食べてみると、たくあんのパリパリとした食感とパンのハーモニーがまことに素晴らしい。また、パンの内側にはマヨネーズが塗ってあり、表面には粉チーズがかかっているのだが、これとたくあんの香り、パンの香りも見事にベストマッチしている。
 私はこの「たくあんサラダパン」の初めての美味しさにいたく感動し、次の日にまた買いに行ったのだった。そしてパン屋のお兄さんに「たくあんサラダパン、ずいぶん美味しかったけど、オリジナルでレシピを考たんですか?」ときいてみた。実はこのパン屋のお兄さんは、私がデジカメ情報サイト「デジカメWatch」で連載している『切り貼りデジカメ実験室』の読者で、記事がアップされる度に「面白かったですよ。」などと感想を言ってくれて、それで私もこの尊敬するパン屋さんに対し、雑談まじりにときどき質問したりするのだった。
 それでこの「たくあんサラダパン」についてだが、これはお店のオリジナルではなく、パンの業者向けの講習会に行った際に、いま世間で話題になっているパンとして教えられた、とのことである。しかし具体的なレシピまでは教わってはいないので、自分なりに工夫して、たくあんは「お漬け物のしんしん」のものをセレクトし、パン生地は柔らかめの食パンと同じものを使い、粉チーズも香りが立つよう少し高級な物を選んだのだそうだ。そう言われてあらためて食べると、これは確かに非常に美味しい「たくあんサラダパン」であって、すっかり病み付きになってしまった。
 しかし気になるのは、「たくあんサラダパン」がこの店のオリジナルではないことで、と言うことは他のお店でも「たくあんサラダパン」は作られているはずである。そこでネットで調べてみたら、具材にたくあんを使ったパンは滋賀県が発祥であることが判明した。それが創業1951年の「つるやパン」が製造する「サラダパン」で、発売から50年以上もの歴史のあるロングセラーで、地元で愛されていたローカル商品だったのが、近年になってテレビなどで紹介され全国的に注目を集めるようになったそうである。
 このオリジナルの「サラダパン」は発売当初、コッペパンの間にマヨネーズで和えたキャベツが挟まれていたそうである。しかしつるやパンが販路を拡大するにつれ日持ちが問題になり、つまりシャキシャキのキャベツが翌日には萎びてベッチャリしてしまう。そこでキャベツのかわりに刻んだたくあんを入れたのが、現在にまで続く「サラダパン」なのである。だからパンの名前としてはあくまで「サラダパン」で、しかしそこにたくあんが入っていることは、地元の人は皆知っているのだ。
 という経緯を知ってしまったのだが、そうなるとどうしてもそのオリジナルの「サラダパン」を食べたくなってしまう。なぜなら食べ物にしろアートにしろ、最初にそれを考えて作った人のものが、追随者よりも優れている例はいくらでもあるからだ。しかし、滋賀というのは大阪のさらに先で、自分が住んでいる神奈川からはかなり遠く、「サラダパン」のためだけに行くのはちょっと難しい。
 ところがふと思いついたのだが、私はこの(2017年)6月に東京都美術館で開催される『切断芸術運動というシミュレーション・アート』というグループ展に出品することになっていたのだが、そのメンバーに滋賀から参加する写真家の菅野英人さんが、おられたのである。そこで菅野さんに「滋賀のサラダパンって知ってる?」と聞いてみたところ「知ってますよ!展示の時に買ってお持ちしますね!」と言っていただけたのだ。
 そして、実際に買ってきてもらって、東京都美術館の控え室で食べてみたのだが、まず驚いたのは滋賀のオリジナルの「サラダパン」は藤沢の「たくあんサラダパン」とずいぶん違うということだ。まずはパッケージングからして違うのだが、滋賀の「サラダパン」は、黄色と緑を基調にデザインされた独特の書体の「サラダパン」の文字が入った、懐かしくも可愛い感じのビニール袋に入っている。これは滋賀県内の各所に流通される、ある程度の「量産品」だからなのだが、これに対し藤沢の「たくあんサラダパン」はこのお店だけで売られているので、そっけない透明ビニールに入れて店頭に並べられている。
 そして肝心の中身だが、「サラダパン」のパンそのものは長細い形のオーソドックスなコッペパンで、中にはマヨネーズとたくあんが挟まっているが、チーズはかかっていない。そして食べてみると、どうもたくあんの量が少なく、言われなければたくあんが入っているとは思えず、普通のコールスローサラダかなんかに思えてしまう。実際、「サラダパン」のパンをパカっと開いて見ても、中の具材はベチャッとしたコールスローサラダのようで、たくあんが入っているようには思えない。
 結論を言えば意外なことに、伝統あるオリジナルの「サラダパン」よりも、藤沢の「たくあんサラダパン」の方が圧倒的に美味しくて、かつユニークなのである。考えてみるとオリジナルの「サラダパン」は、その発祥からしてキャベツの代用品としてたくあんを使っている。だから結局は、たくあんがたくあんだと簡単には悟られないよう、その量はマヨネーズに対しあくまで控えめなのである。
 これに対し藤沢の「たくあんサラダパン」は見た目からして、パンの間から黄色いたくあんがドッサリとはみ出して見えている。そしてこのたっぷりでジューシーなたくあんと、パンの風味と、そしてトッピングの粉チーズとが、 まさにベストマッチの美味しさなのである。値段も滋賀の「サラダパン」が140円に対し、藤沢の「たくあんサラダパン」が160円で、味と内容を考えると後者の方が断然コストパフォーマンスが高いように思える。
 このパン屋のお兄さんに滋賀の「サラダパン」のことを話したら、実物はもちろん写真も見たことはないそうで、オリジナルがどういうものか全く知らずに、「たくあんを使ったサラダパンが話題になっている」という情報だけで、独自の「たくあんサラダパン」を作ろうと思い立ったのである。その結果、このパン屋さんならではのサービス精神とセンスの良さによって、伝聞だけの「たくあんサラダパン」がオリジナルとして「再発明」されたのだ。
 そのようなわけで、私は藤沢の「たくあんサラダパン」がすっかり気に入ってしまったのだが、ある日お店に行ったら店頭を探しても無いのである。そこで、お兄さんに聞いてみると「あれはあんまり売れないのでやめちゃったんですよ」とのことである。実は私も贔屓にしているパン屋さんとは言え、毎日行っているわけではなく、たまに行っては「たくあんサラダパン」を買っていたのだが、どうも私以外に買うお客さんがあまりいなかったようだ。まさに彗星の如く登場した「たくあんサラダパン」は幻の如く消えてしまった。
 ところが実際に商品をやめてしまうと「あれもう無いの?」と聞いてくるお客さんが他にもいるとの事で「やっぱり復活させようかな?」とパン屋のお兄さんが言ってくれて、数日後に行ったら再び店頭に並んでいたのである。それで久しぶりに「たくあんサラダパン」を買うことができたのだが、今度は食べる前にiPhoneで写真を撮って、フェイスブックに「こんなに美味しくてユニークなパンがある」と言う内容の記事とともにアップしたのであった。そうしたところ、結構な数の「いいね!」がその記事に付いて、コメント欄に「近所なのでぜひ買いに行きます!」と書いてくれた人もいたのだった。
 まぁ、私のフェイスブックは一般公開してるとは言え、友達の数は限られているし、実際にどれだけの影響があったのかは不明だが、夕方にパン屋さんに行くともう「たくあんサラダパン」が売り切れてしまうこともあったりして、一応は私以外のお客さんにも売れてるようで、なんとか定番商品として根付いてくれないかなと願っているのである。

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